プロローグ
サッカーと言えば「浦和」。
埼玉師範で行われたサッカーは浦和に根付き、浦和の旧制中学やその後の高校は、殆どの学校が全国を制覇している。
サッカー王国「埼玉」といわれる所以です。
その浦和に隣接する旧与野市の当少年団は、当然、浦和を範とした後発組。
昭和40年代、浦和に追いつき追い越そうとサッカー指導に情熱をかけた若い先生がそこにいました。
先生の情熱に動かされ支援する父母達の輪が広がり、脈々と引き継がれ今日に至っています。
今、当時の団員の土地っ子二世もいれば、交通アクセスのよいこのエリアに新たに移り住んでくる方々のお子さん達もいる。
もともとオープンなこのエリアは、浦和ほどのサッカーに対する強烈なプライドが無いかわりに、素人も容易に受け入れる寛容さを持っており、多分、下落合の文化と言っていい「サッカー」に、ここでなら安心して関わりあうことができるのです。
「文化」と言えるまでに至ったその歴史について、見聞きしたことを書き留めてみました。(2007.12 林)